中国武術の中でも華麗にして、ダイナミックな
動きの「長拳」を基軸とし、体作りを行っていきます。
各レベルに合わせ…
入門・初級クラスでは骨盤・下肢のコンディショニングから
中級クラスでは肩・首・背中・胸の調整、
上級クラスになると様々な武術を選択することができ
呼吸の流れ、緩急、脱力などを学んでいきます。
当会において、上級クラスで選択し学べる内容は以下の通りです。
動きの「長拳」を基軸とし、体作りを行っていきます。
各レベルに合わせ…
入門・初級クラスでは骨盤・下肢のコンディショニングから
中級クラスでは肩・首・背中・胸の調整、
上級クラスになると様々な武術を選択することができ
呼吸の流れ、緩急、脱力などを学んでいきます。
当会において、上級クラスで選択し学べる内容は以下の通りです。
長拳 | 長拳、査拳、華拳 |
南拳 | 詠春拳、規定南拳、南拳、金家拳、虎拳 |
太極拳 | 初級太極拳、8式太極拳、16式太極拳 24式太極拳、48式太極拳、36式太極扇 32式太極剣、呉式太極拳、孫式太極拳、陳式太極拳、42式太極剣 |
伝統拳 | 蟷螂拳、酔拳、鷹爪拳、蛇拳、猴拳、翻子拳,通背拳 少林五型拳…龍・虎・鶴・蛇・豹 |
器械 | 刀術、剣術、棍術、槍術、長穂剣、武当剣、双剣双刀、九節鞭、少林扇、双鈎など |
映画「イップマン」にあこがれて 「カンフーパンダ」を見て、お子さんが興味をもって…など、 映画のイメージに最も近いカンフーが学べるのはこのクラブです |
カンフー(中国武術)の種類はどのくらいありますか?
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長江を境として、大きく北派、南派に分けられる。 「南拳北腿」と表現されるとおり、 北派武術は跳躍動作やのびのびとした、柔らかく大きな動きの武術が多く存在する。 南派武術は腰を落とし、ずしりと重い攻防を旨とするものが多い、日本の空手はこの南派武術が沖縄に唐手として伝わり、変化していったものである。 現代中国武術は長拳(北派の代表的武術の総称)、南拳(南派武術)、太極拳、伝統拳の4種目に区分されることが多い。 また、太極拳を代表とする内家拳と 長拳を代表とする外家拳に分ける場合もある。 内家拳は(呼吸や気の流れを重視する練習方法(内功)) 外家拳は(筋骨を練ることを重視する練習法(外功)) といわれるが、どちらにも、外功、内功は存在するし、功法(エクササイズ方法)は流派により多彩である。 種類は数百あるといわれるが、これを定義するのは難しい。例えば太極拳は 五大流派に大別されるが、その中でも更に分類を分けていくことができるし マイナーなものも含めていくときりがない。 その、バリエーションの多さ、自由さが魅力の一つともいえよう。 |
少林拳ってなんですか?
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即位皇帝が天地の神をまつったとされる5つの霊山(東岳泰山とうがくたいざん、、南岳衡山なんがくこうざん、西岳華山せいがくかざん、北岳恒山ほくがくこうざん、中岳嵩山ちゅうがくすうざん)を五岳という。 その中心が嵩山で東の太室山36峰と西の少室山の36峰を合わせて嵩山と呼んでいる。太和19年(495年)この少室山の別峰の五乳峰のふもとに建てられたのが少林寺で北魏の孝文帝が、インドからの渡来僧、跋陀(ばっだ)禅師のために創建した。 以来、1500年余り少林は盛衰を繰り返しながらも、中国屈指の禅寺として法統を守り伝えてきた。 少林寺における武術の開祖伝説には達磨大師のほかに、元代の緊那羅王きんならおうの伝説があるがいずれも神話の域を出ない。 その部名が史上に最初に出たのは唐初の武徳4年(621年)王世充(おうせいじゅう)の乱の時に曇宗(どんしゅう)ら13人の少林寺僧が李世民(りせいみん)のちの玄宗皇帝を助け武功を挙げた。これが少林寺の武僧についての最初に記録とされている。以後武功は途絶えるが、明代に入って再び武名がとどろいた。 ただしそれは棍法(棒術)のことで、「諸芸は棍を宗とし、棍は少林を宗とす」「武備志」と謳われた。 また、「日知録」「寧波府志」などの史書には倭寇(中国の東海岸を荒らした海賊)の討伐に少林寺の武僧が活、拳したとの記録がある。 なお、「天下の功夫(ゴンフー)、少林より出ず」という言い伝えがあるが、その一方で、「少林武僧史」には「北宋太祖建隆初年(960年)に少林寺方丈の福居上人が全国から18家の武術家を招集して、各家の技術を集めて整理し拳譜を作成して寺僧に練習させた」とあり太祖拳、七勢連拳、通臂拳、短打、猴拳、蟷螂拳の名があげられている。つまり、少林寺に各地の武術が集められたともいえるのである。 また、少林寺では小紅拳、大紅拳、を基本拳とし、羅漢拳、長護心意門、七星拳、朝陽拳、柔拳、心意拳、心意把、通背拳、炮拳、六合拳や各種兵器術などを伝えている。 |
長拳ってなんですか?
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長拳とは 中国北方の山東省、河南省、陳西省、山西省、河北省..で培われてきた武術で 査拳、華拳、六合拳、少林拳、燕青拳、弾腿、梅花拳などを総称したもの。 動きがしなやかで、優美、ダイナミックな動きと多彩な跳躍動作(飛び蹴りや側宙など)が特徴。現代では、主に表演競技で盛んに練習されている。技術は遠踢近打貼身摔(離れていれば蹴り、近づけば打つ、触れれば投げて関節技で極める)つまり、総合格闘技ですね。 もちろん、しっかりと理解していれば、護身術としての効果も期待できます。 |
当教室で学べる武術太極拳 中国武術(カンフー)の拳種紹介
査拳
査拳は山東省、華北省で盛んにおこなわれていたものであり、明朝末期に査という姓の回族が編み出したものと伝えられている。
套路(型)は十路(10種類)あり、第一路「母子」、第二路「行手」、第三路「飛脚」、第四路「升平」、第五路「関東」、第六路「埋伏」、第七路「梅花」、第八路「連環」、第九路「龍擺尾」、第十路「串拳」
査拳の効能は筋肉靱帯の強化、各関節の俊敏さ、スピード、持久力、パワー、身体能力が発達し、大脳の発反応が俊敏になる。血液循環の促進、呼吸機能の強化、内臓疾患の予防などにも良い効果がある。つまり優れたフィジカルトレーニングといえよう。(参考文献 中国人民体育出版社)
套路(型)は十路(10種類)あり、第一路「母子」、第二路「行手」、第三路「飛脚」、第四路「升平」、第五路「関東」、第六路「埋伏」、第七路「梅花」、第八路「連環」、第九路「龍擺尾」、第十路「串拳」
査拳の効能は筋肉靱帯の強化、各関節の俊敏さ、スピード、持久力、パワー、身体能力が発達し、大脳の発反応が俊敏になる。血液循環の促進、呼吸機能の強化、内臓疾患の予防などにも良い効果がある。つまり優れたフィジカルトレーニングといえよう。(参考文献 中国人民体育出版社)
華拳
華拳は中国武術の中でも、典型的な長拳系の武術である。精、気、神を三華と呼び、また「三華一貫」を大切にしているため、そこから華拳の名称がつけられたという説もある。
華拳は型が整理され、筋骨から強い勁がおこり、心神相応、陰陽がはっきり分けられ、各動作のつながりがよい。華拳は十二路の代表的な套路がある。対打の時は、精、気、神、「三華一貫」の原則により、「勇を先に気で決め、神を後に」の要求通り戦う。(参考文献 中国人民体育出版社)
華拳は型が整理され、筋骨から強い勁がおこり、心神相応、陰陽がはっきり分けられ、各動作のつながりがよい。華拳は十二路の代表的な套路がある。対打の時は、精、気、神、「三華一貫」の原則により、「勇を先に気で決め、神を後に」の要求通り戦う。(参考文献 中国人民体育出版社)
翻子拳
「双拳の密なること雨のごとく、脆快なること一掛鞭(爆竹)」と称されている。長拳のように、腰から繰り出すような拳ではなく、体をしならせて、身を躱しその勢いを、巧みに転換して、胸元から連打を繰り出す。北方河北省で盛んにおこなわれてきた武術で武術書「紀効新書」にも「善の善なるもの」と称賛されている。近代のおける翻子拳は河北の韓禄馬からでていて、韓から段氏を経て、東北の許兆熊(ちょうゆう)、瀋陽の郝鳴九(めいきゅう)、胡奉三、山東の程東閣に伝えられ、東北地方に普及しました。また、民国初年に滄州の馬鳳図、英図の兄弟(劈掛拳、八極拳)は東北を旅して郝、胡、程らと交流し、通備翻子拳を成立させ、西北地方に広く伝えた。馬鳳図の子、馬賢達は早くから、翻子拳で試合に出場し、「快手」と称される。翻子拳の套路には、健宗翻、站とう翻、萃八翻などがある。
現在東北で広く行われているのは足技を得意とする「戳脚」を組み合わせた。「戳脚翻子拳」である。このように他の武術と組み合わせた、燕青翻子、綿掌翻子、一字翻、七手翻、六手翻などが伝えられている。
(参考文献::中国武術の本)
現在東北で広く行われているのは足技を得意とする「戳脚」を組み合わせた。「戳脚翻子拳」である。このように他の武術と組み合わせた、燕青翻子、綿掌翻子、一字翻、七手翻、六手翻などが伝えられている。
(参考文献::中国武術の本)
通背拳
通背拳(通臂拳)は猿の腕が伸びるような動作をするという欲説から命名されている。
腕を鞭のように伸ばして用いるのが特徴で、摔、拍、穿、劈、鑚などの基本手法
小連環、大連環、拆拳、五馬奔槽、六路総手、十二連環掌などの套路(型)、五行通背、六合通背、臂掛通背、などの流派が存在する。
通背拳の正確な期限は不明だが、清代には北京、天津、滄州を中心におこなわれていた。
北京、天津に伝えられたものは、浙江省の祁信が伝えたものが起源でこれを、老祁派といい、その息子、祁太昌が伝えたものを少祁派と呼ぶ。
祁信の弟子陳慶が天津で王占春に伝え、さらに、張策という名人が出て発展した。
この系統は、祁氏通背、五行通背、五猴通背などと呼ばれている。
さらに祁太昌太の弟子許天和から学んだ、修剣痴は東北の瀋陽、大連に移住して通背拳を伝えたため、東北地方に広まった。
また、北京の回族(イスラム教徒)で行われていた白猿通背が清末から継承されているが、回族の住居区牛街に伝えたのは山東省の任十と言われ、回族の秘拳として扱われるようになりました。(参考文献:中国武術の本)
腕を鞭のように伸ばして用いるのが特徴で、摔、拍、穿、劈、鑚などの基本手法
小連環、大連環、拆拳、五馬奔槽、六路総手、十二連環掌などの套路(型)、五行通背、六合通背、臂掛通背、などの流派が存在する。
通背拳の正確な期限は不明だが、清代には北京、天津、滄州を中心におこなわれていた。
北京、天津に伝えられたものは、浙江省の祁信が伝えたものが起源でこれを、老祁派といい、その息子、祁太昌が伝えたものを少祁派と呼ぶ。
祁信の弟子陳慶が天津で王占春に伝え、さらに、張策という名人が出て発展した。
この系統は、祁氏通背、五行通背、五猴通背などと呼ばれている。
さらに祁太昌太の弟子許天和から学んだ、修剣痴は東北の瀋陽、大連に移住して通背拳を伝えたため、東北地方に広まった。
また、北京の回族(イスラム教徒)で行われていた白猿通背が清末から継承されているが、回族の住居区牛街に伝えたのは山東省の任十と言われ、回族の秘拳として扱われるようになりました。(参考文献:中国武術の本)
蟷螂拳
山東省で最も普及している武術で北派の総合武術といえる。開祖は明末から清初、山東省即墨県の王朗という人で、嵩山少林寺で学んだ王朗は少林拳の秘術を学んだあとに、武者修行を重ねる。そんなある時、蟷螂(かまきり)が蝉(せみ)をとらえるところにヒントを得る。これにより「蟷螂十二字訣」を大成し、さらに猿の争う動きから、猿の歩法「猿猴歩」を武術を加え、自らの武術を大成し「蟷螂拳と名付けた。
蟷螂拳は「剛柔相済」「迅速果敢」な攻防を用い綿密な手法を駆使する。腿法も足払いなどを独特の個性を持つ。「上下連環」を重要視し、上を攻めながら下も同時に攻める。素早い攻撃が連綿と繰り出される。
蟷螂拳は硬蟷螂(七星蟷螂拳、梅花蟷螂拳、秘門蟷螂拳)軟蟷螂(六合蟷螂拳)に分けることができる。その他八歩蟷螂拳、長拳蟷螂門などたくさんの分派を持つ。
硬蟷螂系の套路は、大翻車、小翻車、崩歩、八肘、乱接,摘要、梅花などがあり、軟蟷螂系には短捶、蔵花、仙手奔などの套路がある。
1949年の文革により、李崑山、張詳三(六合)、王松亭(七星)、衛笑堂(八歩)、張徳奎(秘門)などの武術家が台湾に流れ、蟷螂拳を伝えた。これらの師全てから学んだ蘇c彰老師は台湾大学などの教育学府で蟷螂拳を普及した。(参考文献:中国武術の本)
蟷螂拳は「剛柔相済」「迅速果敢」な攻防を用い綿密な手法を駆使する。腿法も足払いなどを独特の個性を持つ。「上下連環」を重要視し、上を攻めながら下も同時に攻める。素早い攻撃が連綿と繰り出される。
蟷螂拳は硬蟷螂(七星蟷螂拳、梅花蟷螂拳、秘門蟷螂拳)軟蟷螂(六合蟷螂拳)に分けることができる。その他八歩蟷螂拳、長拳蟷螂門などたくさんの分派を持つ。
硬蟷螂系の套路は、大翻車、小翻車、崩歩、八肘、乱接,摘要、梅花などがあり、軟蟷螂系には短捶、蔵花、仙手奔などの套路がある。
1949年の文革により、李崑山、張詳三(六合)、王松亭(七星)、衛笑堂(八歩)、張徳奎(秘門)などの武術家が台湾に流れ、蟷螂拳を伝えた。これらの師全てから学んだ蘇c彰老師は台湾大学などの教育学府で蟷螂拳を普及した。(参考文献:中国武術の本)
長拳蟷螂門
当会で学ぶことのできる蟷螂拳は2種類あります。
一つは上海武術院で学んだもの、もう一つがこの長拳蟷螂門です。長拳蟷螂門は王松亭の弟子、高道生老師が創始者で、山東省で生まれ、林金亭老師に長拳、方中慶老師に地功拳、孫立鐸老師に小林拳、王松亭老師に七星螳螂拳を学び、これらを統合した武術です。
私は、直接台湾にも赴き、蟷螂手、梅花拳なども、ご指導いただきました。
一つは上海武術院で学んだもの、もう一つがこの長拳蟷螂門です。長拳蟷螂門は王松亭の弟子、高道生老師が創始者で、山東省で生まれ、林金亭老師に長拳、方中慶老師に地功拳、孫立鐸老師に小林拳、王松亭老師に七星螳螂拳を学び、これらを統合した武術です。
私は、直接台湾にも赴き、蟷螂手、梅花拳なども、ご指導いただきました。
総合蟷螂拳
映画「少林寺」師匠役、蟷螂拳の達人として、演技をしている干海老師の演じた蟷螂拳は当時の私の心を鷲掴み、感銘を受けました。
この蟷螂拳がどうしても習いたかったのですが、なかなか、機会に恵まれず、結局初めて習う機会を得たのは2009年上海武術院で陳雋老師に教えていただいた「小蟷螂」この套路は紛れもなく、干海老師の動きと類似した。柔らかくしなやかな動き、この歴史は、とても古いらしく、太極拳が17世紀に変遷されたといわれていますが、この蟷螂拳はさらに歴史があると、おっしゃっていました。
太極拳の方が、歴史が古いと思いがちですが、実際、蟷螂拳の歴史は、はっきりとわかっておらず、太極拳同様17世紀ごろに発展していったようなので、陳老師がおっしゃられたことも、納得できます。また、この蟷螂拳には、通背拳なども、統合されているようです。
この蟷螂拳がどうしても習いたかったのですが、なかなか、機会に恵まれず、結局初めて習う機会を得たのは2009年上海武術院で陳雋老師に教えていただいた「小蟷螂」この套路は紛れもなく、干海老師の動きと類似した。柔らかくしなやかな動き、この歴史は、とても古いらしく、太極拳が17世紀に変遷されたといわれていますが、この蟷螂拳はさらに歴史があると、おっしゃっていました。
太極拳の方が、歴史が古いと思いがちですが、実際、蟷螂拳の歴史は、はっきりとわかっておらず、太極拳同様17世紀ごろに発展していったようなので、陳老師がおっしゃられたことも、納得できます。また、この蟷螂拳には、通背拳なども、統合されているようです。
醉拳(地躺拳)
地躺拳とは、地面を転がり、蹴りながら倒れたり、剪腿(蟹挟み)などを使う。奇襲を得意とする武術で山東省,江南地方で盛んにおこなわれた。
古くは「九滾十跌」と呼ばれ、すでに明代の「紀効新書」に記載があり。狗咬粽、兎子蹬鷹、倒背鎌、金後剪などの技がある。
この地躺拳に属するものにジャッキーチェンの映画でおなじみの「醉八仙拳」がある。酔ったふりをして、地面を転げまわり(前滾翻 後滾翻 搶背 )、また跳ね上がったり(鯉魚打挺、烏龍絞柱)その動きは、さながら、ブレイクダンスのよう(逆なんですけどね、本当はカンフーの動きやカポエラという、武術の動きをダンサーが取り入れて進化したものなので)八仙とは、小説「東遊記」に登場する8人の仙人のこと、軍人から仙人になった漢鐘離、永遠の少年の姿で拍板(楽器)を奏でる藍采和、一日に数万里を行く紙のロバを操る最長老の張果老、もと宮廷官史で呂洞賓と漢鐘離に認められた曹国舅、中国でもっとも有名な仙人で剣の達人呂洞賓、老子の直弟子で鉄の杖を使う李鉄拐、美男子で笛の音で敵を打つ韓湘子、八仙の紅一点で妖魔を絡めとる花かごを使う何仙姑がそれである。これらの仙人の特徴を8種の套路(型)がある。
私が学んだ醉拳は、上海武術院の王偉星老師より学んだものです。(参考文献:中国武術の本)
古くは「九滾十跌」と呼ばれ、すでに明代の「紀効新書」に記載があり。狗咬粽、兎子蹬鷹、倒背鎌、金後剪などの技がある。
この地躺拳に属するものにジャッキーチェンの映画でおなじみの「醉八仙拳」がある。酔ったふりをして、地面を転げまわり(前滾翻 後滾翻 搶背 )、また跳ね上がったり(鯉魚打挺、烏龍絞柱)その動きは、さながら、ブレイクダンスのよう(逆なんですけどね、本当はカンフーの動きやカポエラという、武術の動きをダンサーが取り入れて進化したものなので)八仙とは、小説「東遊記」に登場する8人の仙人のこと、軍人から仙人になった漢鐘離、永遠の少年の姿で拍板(楽器)を奏でる藍采和、一日に数万里を行く紙のロバを操る最長老の張果老、もと宮廷官史で呂洞賓と漢鐘離に認められた曹国舅、中国でもっとも有名な仙人で剣の達人呂洞賓、老子の直弟子で鉄の杖を使う李鉄拐、美男子で笛の音で敵を打つ韓湘子、八仙の紅一点で妖魔を絡めとる花かごを使う何仙姑がそれである。これらの仙人の特徴を8種の套路(型)がある。
私が学んだ醉拳は、上海武術院の王偉星老師より学んだものです。(参考文献:中国武術の本)
鷹爪拳
岳飛が武兵訓練用の武術として創始した「岳氏散手」と呼ばれる徒手武術が起源というが伝説の域を出ない。
将戚継光が記した対倭寇の兵法書「紀効新書」の中に「鷹爪王之拿」の記述が有ることから、古代より鷹爪翻子拳の源流が実在した事になる。
源流となる「鷹爪拳」が歴史の舞台に出たのは清朝後期、北京にて著名となった武術家・劉仕俊からである。劉は数多く存在する北京の武術家と対戦、交流しその名前を首都に轟かす。劉の学ぶ武術こそ「鷹爪拳」(鷹爪門)と「鷹爪大杆子」と呼ばれるものであった。彼の口伝による鷹爪拳の歴史は、遊歴僧「法静」から始まる。
河北省雄県出身の劉仕俊は、近隣の保定市で盛んだった摔角を学んでいたが、貧しい生活のため寺や畑で一人稽古することが多かった。その時通りがかった法静と知遇を得て、初めて武術の伝承を得ることになる。
3年間にわたる厳しい稽古を終え、雄県を去る事になる法静が劉に初めて明かす武術の名称が、「鷹爪拳」と「大杆子」そして72種(108種とも言われる)の擒拿術であったと伝えられる。
さらに立ち去る時、法静は後年「麗泉」と名乗る遊歴僧が現れるから彼からも武術を学べと言い残した。程なく麗泉が劉の前に現れ
将戚継光が記した対倭寇の兵法書「紀効新書」の中に「鷹爪王之拿」の記述が有ることから、古代より鷹爪翻子拳の源流が実在した事になる。
源流となる「鷹爪拳」が歴史の舞台に出たのは清朝後期、北京にて著名となった武術家・劉仕俊からである。劉は数多く存在する北京の武術家と対戦、交流しその名前を首都に轟かす。劉の学ぶ武術こそ「鷹爪拳」(鷹爪門)と「鷹爪大杆子」と呼ばれるものであった。彼の口伝による鷹爪拳の歴史は、遊歴僧「法静」から始まる。
河北省雄県出身の劉仕俊は、近隣の保定市で盛んだった摔角を学んでいたが、貧しい生活のため寺や畑で一人稽古することが多かった。その時通りがかった法静と知遇を得て、初めて武術の伝承を得ることになる。
3年間にわたる厳しい稽古を終え、雄県を去る事になる法静が劉に初めて明かす武術の名称が、「鷹爪拳」と「大杆子」そして72種(108種とも言われる)の擒拿術であったと伝えられる。
さらに立ち去る時、法静は後年「麗泉」と名乗る遊歴僧が現れるから彼からも武術を学べと言い残した。程なく麗泉が劉の前に現れ
自分は法静の弟子であり老師の命により武術の伝承にやってきたと語った。麗泉はその後保定市に1年間逗留し、劉に鷹爪拳の武術や少林拳、各種の武器術を伝え、「鷹爪拳譜」と奪命打人法の秘術を記した書を与え雄県を去る。 後年、劉は各地で、保定市の名産であるタバコの葉の行商をしながら武術の試合や交流を行い、鷹爪拳の名を世に広めた。とりわけ山東省や北京において、劉は彼の名声と実力を慕う多数の弟子を集め、鷹爪拳は中国武術の名流の一つとなる。
北京の弟子で最も著名な者に少林拳や太極拳、八卦掌の「劉徳寛」で、彼は劉から学んだ武術を「五十路岳氏散手」としてみだりに伝えることが無かった。その他、黄埔軍武術教官であった劉淑雲や徐六、満州人の紀四などにも武術を伝えた。後に雄県に隠棲しても、彼方から武術を学びに来る者が後を絶たなかったと言われる。
やがて近代に入り陳子正が上海精武体育会の武術教官に就任する。陳は鷹爪拳を学ぶ前に、戳脚や硬気功、更に翻子拳を大変得意としていたため、自ら学んだ拳法流派を尋ねられた時に、自分の学んだ武術を総合して「鷹爪翻子拳」を名乗る。これが世に初めて出てきた「鷹爪翻子拳」であった。
鷹爪翻子拳は、精武体育会でも呉艦泉の呉氏太極拳や羅光玉の七星蟷螂拳と並び広く普及した。
(ウィキペディアより抜粋)
北京の弟子で最も著名な者に少林拳や太極拳、八卦掌の「劉徳寛」で、彼は劉から学んだ武術を「五十路岳氏散手」としてみだりに伝えることが無かった。その他、黄埔軍武術教官であった劉淑雲や徐六、満州人の紀四などにも武術を伝えた。後に雄県に隠棲しても、彼方から武術を学びに来る者が後を絶たなかったと言われる。
やがて近代に入り陳子正が上海精武体育会の武術教官に就任する。陳は鷹爪拳を学ぶ前に、戳脚や硬気功、更に翻子拳を大変得意としていたため、自ら学んだ拳法流派を尋ねられた時に、自分の学んだ武術を総合して「鷹爪翻子拳」を名乗る。これが世に初めて出てきた「鷹爪翻子拳」であった。
鷹爪翻子拳は、精武体育会でも呉艦泉の呉氏太極拳や羅光玉の七星蟷螂拳と並び広く普及した。
(ウィキペディアより抜粋)
南拳
中国の長江以南の福建、広東、湖南、四川、江西、浙江、江蘇などの地方で盛んに行われた武術の総称で、広東には、洪、劉、蔡、李、莫、侠、客、蔡李仏家などの流派がある。歩法は穏健で、上肢の動きが多く、腿法は少ない、ずしりと重厚で力があり拳勢は激しい洪家拳をはじめ、歩型の高い劉家拳、動作の大きい蔡家拳、跳躍の多い李家拳、肘法の多い莫家拳、俊敏で腿法の早い客家拳、身体自在の手法を使う侠家拳ゆったりとした、蔡李仏家拳などがある。
(参考文献:南拳、著者陳昌棉)
当会で学ぶものは、これらの流れを組む、規定南拳、虎形拳、金家拳である。
(参考文献:南拳、著者陳昌棉)
当会で学ぶものは、これらの流れを組む、規定南拳、虎形拳、金家拳である。
蛇形拳
蛇拳と言えば、ジャッキーチェンの映画で有名です。峨眉派武術、少林拳などで行われていたり、洪家拳のなかにも蛇の型が存在します。
当会で指導させていただいているものは、上海武術院、少林拳の陳雋老師より、教わったもので、男性向けの南派蛇拳と女性向けの峨眉派の蛇拳だとおっしゃっていました。動作は、柔らかくしなやかな風格の套路です。
当会で指導させていただいているものは、上海武術院、少林拳の陳雋老師より、教わったもので、男性向けの南派蛇拳と女性向けの峨眉派の蛇拳だとおっしゃっていました。動作は、柔らかくしなやかな風格の套路です。
猴拳
猴拳は猿の動きを模倣した武術で象形拳という拳種に分類される。地面を転げまわり攻防する地躺拳にも分類される。
西漢時代には、既に猴舞と猴拳があった。
発展していく中で風格の異なる様々な流派が形成されていった。
しかし、基本的な部分は共通している。現代の猴拳は猿の活発に動く姿を模倣し
俊敏、また武術的攻防と一致している。
1953年以降全国武術表演競技の中に猴拳は種目として、定着していく。
套路は跌、扑、滚、翻动作と猿の精神を表現している。
身法は缩脖(腕を縮め)、耸肩(肩をすくめ)、含胸、圆背、束身、屈肘、垂腕、屈膝
手法は、果物を取る様子を模倣し、攀援,有刁、采、抓、扣
歩法は猿が飛び跳ねる様子を模倣し、跃、窜、出入,有脚尖步、小跳步、交叉步等が特徴
猴舞を得意としていた西漢の長信少府が宴会で表演した記述がみられる。
長沙馬王堆から出土した西汉帛画「導引図」には、沐猴灌(猴拳の図が描かれているもの)がある。
明代著者戚継光が著した「紀效新書、拳経捷要」にも猴拳の記述がある。
金鉄庵は、「酔八仙譜」の中で、「拳法が盛んな南方では、七紅、八黒、大小天罡、猴拳等が盛んに行われている。峨眉猴拳は四川に普及していて、套路も多彩と言われている。
当会で指導させていただいているものは、上海武術院、少林拳の陳雋老師より、教わった伝統的で身体に無理のない実践的な動きのものと、趙軍老師にご指導いただいたアクロバティックなものと練習してます。
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西漢時代には、既に猴舞と猴拳があった。
発展していく中で風格の異なる様々な流派が形成されていった。
しかし、基本的な部分は共通している。現代の猴拳は猿の活発に動く姿を模倣し
俊敏、また武術的攻防と一致している。
1953年以降全国武術表演競技の中に猴拳は種目として、定着していく。
套路は跌、扑、滚、翻动作と猿の精神を表現している。
身法は缩脖(腕を縮め)、耸肩(肩をすくめ)、含胸、圆背、束身、屈肘、垂腕、屈膝
手法は、果物を取る様子を模倣し、攀援,有刁、采、抓、扣
歩法は猿が飛び跳ねる様子を模倣し、跃、窜、出入,有脚尖步、小跳步、交叉步等が特徴
猴舞を得意としていた西漢の長信少府が宴会で表演した記述がみられる。
長沙馬王堆から出土した西汉帛画「導引図」には、沐猴灌(猴拳の図が描かれているもの)がある。
明代著者戚継光が著した「紀效新書、拳経捷要」にも猴拳の記述がある。
金鉄庵は、「酔八仙譜」の中で、「拳法が盛んな南方では、七紅、八黒、大小天罡、猴拳等が盛んに行われている。峨眉猴拳は四川に普及していて、套路も多彩と言われている。
当会で指導させていただいているものは、上海武術院、少林拳の陳雋老師より、教わった伝統的で身体に無理のない実践的な動きのものと、趙軍老師にご指導いただいたアクロバティックなものと練習してます。
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教室で学べる 短器械 刀術編
刀術の歴史前篇
刀術は短器械に分類される。
商(殷)時代(紀元前17世紀初めから紀元前11世紀までの間)には銅と錫(すず)で作られた青銅刀が現れた。
周時代(紀元前11世紀から紀元前771年までを「西周」紀元前256年までを「東周」という)の末期にはすでに、鉄製の刀が作られていた。
春秋戦国時代(紀元前722年から〜481年)戦場では刀と剣が活躍していた。
漢代(紀元前206年〜220年)になると、刀の製造はいっそう精巧になり、戦場での重要な武器となった。
商(殷)時代(紀元前17世紀初めから紀元前11世紀までの間)には銅と錫(すず)で作られた青銅刀が現れた。
周時代(紀元前11世紀から紀元前771年までを「西周」紀元前256年までを「東周」という)の末期にはすでに、鉄製の刀が作られていた。
春秋戦国時代(紀元前722年から〜481年)戦場では刀と剣が活躍していた。
漢代(紀元前206年〜220年)になると、刀の製造はいっそう精巧になり、戦場での重要な武器となった。
刀術の歴史後編
歴史上では刀術は武器としてだけでなく酒を飲みながら刀で舞い踊る記述も少なくない。
また、二人での打ち合いあるいは一人での単練という形式で発展してきた。
明時代(1368年〜1644年)、清時代(1616年〜1911年)になると、刀術の見識はますます成熟、刀の攻撃術、演武形式は数えきれないほど多い。
例えば:太極刀、少林刀、梅花刀、八卦刀などである。
短柄刀の種類も多く、環刀、長刀、手刀、腰刀、佩刀(はいとう)、鬼頭刀、響環刀などがある。近、現代においてこれらを単刀)といい、そして清時代から腰刀の基本形態を継承してきた。
「文献:中国人民体育社」
当会では長拳規定刀術 六合刀、羅漢刀、双刀などを学ぶことができます。
また、二人での打ち合いあるいは一人での単練という形式で発展してきた。
明時代(1368年〜1644年)、清時代(1616年〜1911年)になると、刀術の見識はますます成熟、刀の攻撃術、演武形式は数えきれないほど多い。
例えば:太極刀、少林刀、梅花刀、八卦刀などである。
短柄刀の種類も多く、環刀、長刀、手刀、腰刀、佩刀(はいとう)、鬼頭刀、響環刀などがある。近、現代においてこれらを単刀)といい、そして清時代から腰刀の基本形態を継承してきた。
「文献:中国人民体育社」
当会では長拳規定刀術 六合刀、羅漢刀、双刀などを学ぶことができます。
刀の各部位名称
刀尖:とうせん、刀の先端
刀面:とうめん、刀の横の部分
刀背:とうはい、切れない方
刀刃:とうば、刃の部分
護手:ごしゅ、つば
刀柄:とうへい、握りの部分
刀首:とうしゅ、柄(つか)の根元
現行の「演武規定」では刀先が持ち手の耳の上端より、短くなってはいけない。刀の重さは成年男子では700グラム、成年女子では600グラムより軽くなってはいけない。少年少女と児童はこの規定に入らないとされている。
刀面:とうめん、刀の横の部分
刀背:とうはい、切れない方
刀刃:とうば、刃の部分
護手:ごしゅ、つば
刀柄:とうへい、握りの部分
刀首:とうしゅ、柄(つか)の根元
現行の「演武規定」では刀先が持ち手の耳の上端より、短くなってはいけない。刀の重さは成年男子では700グラム、成年女子では600グラムより軽くなってはいけない。少年少女と児童はこの規定に入らないとされている。
刀術の基本動作
編集中
教室で学べる 短器械 剣術編
剣術の歴史
剣は短器械の一つで、古代の兵器(徒手兵器)から発展変化してきました。
新石器時代から生産用具としての体積の小さい
石刃骨剣がすでにあった。銅兵器が盛んになった西周の時代に至っても現代の形状には未完成と言える青銅の短剣が現れたことがある。
春秋戦後になって、精錬技術の向上と臨戦技術の需要につれて、鉄製の剣も現れ、剣も伸びた。
その後戦場では青龍刀のような片刃の刀がだんだんと両刃に替わって、格闘、殺し合いに使われる武器となった。
剣身もそれに応じて短くなり、剣の形はだんだん現在の形に近くなってきた。剣術は何千年もの発展過程において、格闘と剣舞の両面性を持って発展してきたのである。
剣術の練習は「套路(形いよる練習体系)」による運動体系にまで発展してきた。
剣の套路は多彩で三才剣、七星剣、八千剣、十三剣、峨眉剣、太極剣など多彩である。
新石器時代から生産用具としての体積の小さい
石刃骨剣がすでにあった。銅兵器が盛んになった西周の時代に至っても現代の形状には未完成と言える青銅の短剣が現れたことがある。
春秋戦後になって、精錬技術の向上と臨戦技術の需要につれて、鉄製の剣も現れ、剣も伸びた。
その後戦場では青龍刀のような片刃の刀がだんだんと両刃に替わって、格闘、殺し合いに使われる武器となった。
剣身もそれに応じて短くなり、剣の形はだんだん現在の形に近くなってきた。剣術は何千年もの発展過程において、格闘と剣舞の両面性を持って発展してきたのである。
剣術の練習は「套路(形いよる練習体系)」による運動体系にまで発展してきた。
剣の套路は多彩で三才剣、七星剣、八千剣、十三剣、峨眉剣、太極剣など多彩である。
剣術の運動特性
剣術の運動は高尚な風格を持ち、リズム感にあふれる。
剣に柄が短く剣身が長く、剣先もあり、両面に刃がある。薄くてバネがあり、そのため、使い勝手がよく剣は「短器械の総帥」と称される。
独特の構造と性能により、その技法はとても多い。
武術のことわざに「剣走青、刀走黒」というのがある。青とは軽いということだ。剣は軽いので無理やりあてたり、相手の武器を受けたりしない。
行く判断し、相手の武器や攻撃を避け、タイミングよくすきを窺い、相手が硬い武器で攻めてきたとき剣で受けずに身を躱して避ける方がよい。
そして、避ける瞬間を利用して、剣峰崩点(刃先で跳ね上げる)あるいは、相手の手首や前腕を切りつけさえすれば、相手からの攻撃を抑え、相手の攻撃を失速させることができ、剣の破損も防ぐことになる。「巧妙さで相手を制すること」は剣術動作の姿勢が細部にわたり厳格で、素早く、千変万化な技法を生み出す。もととなった。
「文献:中国人民体育社」
剣に柄が短く剣身が長く、剣先もあり、両面に刃がある。薄くてバネがあり、そのため、使い勝手がよく剣は「短器械の総帥」と称される。
独特の構造と性能により、その技法はとても多い。
武術のことわざに「剣走青、刀走黒」というのがある。青とは軽いということだ。剣は軽いので無理やりあてたり、相手の武器を受けたりしない。
行く判断し、相手の武器や攻撃を避け、タイミングよくすきを窺い、相手が硬い武器で攻めてきたとき剣で受けずに身を躱して避ける方がよい。
そして、避ける瞬間を利用して、剣峰崩点(刃先で跳ね上げる)あるいは、相手の手首や前腕を切りつけさえすれば、相手からの攻撃を抑え、相手の攻撃を失速させることができ、剣の破損も防ぐことになる。「巧妙さで相手を制すること」は剣術動作の姿勢が細部にわたり厳格で、素早く、千変万化な技法を生み出す。もととなった。
「文献:中国人民体育社」
剣の各部位名称
剣穂の長さにより、長穂剣と短穂剣に分けられる。
剣身(けんしん、刃の部分全体)
剣尖:けんせん、剣の刃先
剣刃:けんば、切れる刃の部分
剣脊:けんせき、真ん中の筋の部分
剣把(けんは:剣格、剣柄、剣首の総称)
剣格:けんかく、鍔(つば)
剣柄:けんへい、握りの部分
剣首:けんしゅ、持ち手の端の部分
剣穂:けんすい、穂の部分
剣身(けんしん、刃の部分全体)
剣尖:けんせん、剣の刃先
剣刃:けんば、切れる刃の部分
剣脊:けんせき、真ん中の筋の部分
剣把(けんは:剣格、剣柄、剣首の総称)
剣格:けんかく、鍔(つば)
剣柄:けんへい、握りの部分
剣首:けんしゅ、持ち手の端の部分
剣穂:けんすい、穂の部分
剣の基本動作
編集中